東京での日々とジェラート人生のはじまり

2017年春、住み慣れた金沢を離れ、東京に移り住んだ。
知らない街で、知り合いもいない中、やったこともない仕事をすることはとても不安だった。
東京で唯一の友達と言える、前職の時の同僚がこの時も支えてくれた。
慣れるまでの期間は、ネガティブな感情も都度あったけれど、思い出すのはポジティブなことばかり。
一緒に働いた仲間やご近所さん、お客さんとも徐々に仲良くなり、思い返せばイタリアで過ごした日々と同じように、忘れられない瞬間の連続だった。
働き始めは、約1年くらい店頭に立ち接客を学んだ。
お店で働いている人たちは、とても自然体でびっくりしたことを覚えている。
そして、特に驚いたことがお店の人たちの記憶力の良さ。
お客さんのことをよく覚えており、気さくに声をかけていた。
美味しいジェラートを提供するだけではなく、街に溶け込み、気軽に立ち寄りやすい雰囲気は、この人たちのおかげなんだなと感じた。
お店はその後、改装期間を経てリニューアルオープン。
それからはジェラート製造に携わることになった。
念願のジェラート製造の仕事ができることが嬉しく、1日があっという間に過ぎていった。
こんなことを言うと師匠に怒られるかもしれないが、ジェラートの仕事は気力・体力勝負のためか、師匠は自分に対してすごく気を遣ってくれていた気がする。
ジェラート作りは、ひたすら果物の処理をしたり、ナッツの皮をむいたり、黙々と作業することが多かった。
作業をしながら、師匠から国内外の産地に行った話、これまでやこれからの話、時には哲学的な話なんかも聞いて、自分の将来のお店の想像を膨らませていた。
毎日、ジェラート作りの基礎は十二分に教えてもらっていたが、それ以上に、現状に満足しない探求心や向上心を師匠の日常の中から教えられた。
修行という言葉を使うにはおこがましいくらい恵まれた環境下で、返しきれないほどの恩を受け、2019年秋に金沢に戻ってきた。
私のジェラート人生のはじまりは、想像以上に恵まれていて、少々出来すぎとも思えてくる。
ただ、いざ自分で始めてみると、思うようにいかないことが多々ある。
そんな時は、あの阿佐ヶ谷での日々やいつも何か面白いことを探していたシンチェリータの人たちのことを思い出し、「まだまだ」と自分に言い聞かせる。
