ペルージャでの日々とジェラートの記憶

2008年秋。念願だったイタリア留学が叶い、期待と不安が8:2くらいの気持ちでイタリア中部の街”ペルージャ”に到着した。
これから1年間住む町は、少し閉鎖的でどこか淡々としているイメージだった。
しかしローマのように観光客もおらず、旧市街と言われる街の中心は歴史的な建物でありながら、生活感もあり、ここだったら安心して過ごせそうという気がした。
ローマの時もそうだったが、一番の不安は人間関係。
ペルージャでも大学が提携している不動産屋から部屋を借り、イタリア人の女性と一緒に暮らした。最初は緊張し、うまくコミュニケーションが取れなかったけれど、ある日彼女の友達の日本人が遊びに来たことがきっかけで、今でも関係が続くほど仲良くなった。
一方、大学の友達は、運が良いのか悪いのか、最初のクラスには日本人がおらず、そんなにレベルが高くないもの同士、イタリア語で意思の疎通を図り、距離を縮めていった。一番最初に仲良くなったのはマレーシア人の子だった。彼女はイタリアが大好きで、私よりも数か月前にイタリアに到着していた。同じアジア人のせいか、性格的な問題なのか、最初はお互いシャイでニコニコしているだけだったが、ある日学校が終わった後「好きなジェラート屋さんがあるんだけど、一緒に行かない?」と誘ってくれた。
彼女が好きなジェラテリアは、陽気なおじさんがやっている街でも人気なお店だった。お店が混んでいても明るく、特に女性には「Ciao BELLA!!(美人さん、こんにちは)」とか言いながら接客をしていた。
そしてこのジェラテリアで初めてアマレーナ味のジェラートを食べた。
友達が好きと言ったこの味は、甘酸っぱいチェリーがゴロっと入っており、ちょっとジャンキーで懐かしい香りがした。
その数か月後に友達はアメリカに旅立った。

ペルージャに暮らしていたときは、日本でジェラート屋さんをやりたいとは思っていなかった。
帰国後、イタリアでの夢のような時間が本当に夢だったかのように、自分がこれから何をしたいのか、何ができるのかが分からなくなり、悶々とした日々を過ごしていたとき、ふとイタリアで食べていたジェラートが恋しくなった。
自分の気持ちが少し下降気味の時に思い出したのは、エナジードリンクのように飲んでいたエスプレッソではなく、常に孤独感を払拭してくれたジェラートだった。
それからジェラート屋を開業するまで、紆余曲折あり、留学から10年後にジェラート屋を始めることができた。
開業して3年。
有難いことに、日々いろいろな方に自分のジェラートを食べてもらえ、毎週のように通ってくれる方も増えた。
ジェラートを通して繋がる人間関係が、これまでもこれからも自分を支えてくれている気がしている。